はまちゃんの日々是好日

ようこそいらっしゃいました

米寿の母

 


 

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元旦生まれの母は 88歳 米寿を迎えて

元気にしています

  1年ぐらい ブログの更新をしておりません

 

母は より小さく 可愛らしく 年を重ねています

多少のボケも ありますが 元気にしております

 

 

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令和 3年 1月 龍蔵寺 寒牡丹を見に行く

春夏秋冬 見どころのある お寺で 母を連れて 度々 お参りをしている

もう3年目 ぐらいになるかと思う

駐車場から 緩やかな坂道や階段を登る距離300 m くらい

その登る姿や歩き方が 母の健康のバロメーターだと私は見ている

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令和2年10月 広島呉の 茂くんの 家を訪ねた

それは 母にとって 最後の 広島江波の海宝寺にある墓参り

両親である山田為次郎 まき夫妻の墓

私たち兄弟も何十年ぶりだろう

揃ってお参りできた

母が 元気に歩けるうちにと企画した

親孝行ができて 大成功の1日だった

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母は毎月10日近く 我が家に 遊びに来てた

 母の迎えに 君子さんが 時々来てくれるようになった

きみこさんと一緒に 市内の観光地を回って

昼食を 食べて 母は きみこさんに連れられて自宅に帰っていた

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この絵は山口市の菜香亭で 行われた 雪舟生誕600年の 企画で

墨絵を書いてみようというのがあったので母と行ってみた

母は絵心があるので 好きなことは

本能的に やるもんだと

つくづく思った

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1年前 前と2年前の  母の写真

我が家に来たら 白髪染め染めと カット をしてあげる

私の床屋の腕も上がって(笑)

ショートカットが 母のお気に入りとなった

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令和2年7月 

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ジグゾーパズルにも挑戦


澄江がふとしたことで 思い立って

美代子おばさんの墓参りに行こうということになって出かけた

忘れてはならないお世話になったご先祖様

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ひょうきんな母

カメラを向けるおかしな顔をいくつもする

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5月 澄江の家の バラを見に行く

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平成最後の春の日々

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5月に元号が令和に変わった
変わる前の4月 山口の一の坂川に花見に行った

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別の日に 龍蔵寺にも行った
ボケ封じ観音さまを拝みに(笑)
いえ 散歩がてらに誘って 3度目のお参り



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ここは 雪舟


この春 母の体調が 昨年よりだいぶいいので
外へ連れ出すことができた
天候も穏やかなお出掛けしやすい春の日々だった

本人は相変わらずの出不精で
はじめはいつも いやがるけれど
買い物に誘って きっかけるのだ

出れば 体調も上がるという具合

人間は本来 自然に触れることは
体にいいし
気持ちもいいものだ
 
いつまでも 元気であってほしい


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長男坊が 母のために 外で休める椅子や
台を 作ってくれていた
器用なのは 父に似たのだろう
母も嬉しかろう

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弁当を 庭で食べた
暑すぎず 寒くもない日に出会ってラッキー❗
手作りの台や椅子も直ぐに使えるようにおいてくれている
どこのレストランに行くよりも母にとっては居心地がいいだろう

手入れのされた芝生の庭に 季節の花が咲き誇っている
ありがたいことだ🎵 至福の時であったろうと思う

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元気に過ごしてほしい

母 86歳

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元旦正月生まれの 母は86歳になった
体調は いまいちとはいえ 風邪も引かず元気に過ごしている
先月 我が家に来てくれた時に
山口市の龍蔵寺の寒ボタンを見に行った
この季節 牡丹はめずらしいねと声かけて
母もおだやかな陽気に誘われて スムーズに準備していた

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行ってみると たくさんの鉢植えの 牡丹花が お堂の中に並んでいた
やさしい色と美しい花に癒された
出無精の母も 花を見ると心が和らいでいること感じられた
 この寺は 大銀杏が有名で 秋には落ち葉で石段も黄色く埋まる
母に その頃また行ってみようかと話した
来年も寒ボタンも見に来ようねというと
母は 行ってみようと約束してくれた
ただね・・・
明日には そんなこと言ったかいね?・・てな具合なんだけれど
そんなことは仕方のないこと
母と一緒に心癒す時間を共有できたこと
わたしにとっては 奇跡の時間だったんだと感謝した
               
                 お堂の中で
         、、、おもしろいものをみつけて 思わず もとめていた
          龍蔵寺は ぼけ封じ観音の札所であったのだ

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母の思いの矛先を 観音様が やさしく説いてくれるのではないかな

長い人生 生きてきて 今を 母は満足していているのかな・・・


戦前 朝鮮で海苔の生産業と組合の理事をしていた両親のもとに生まれ 
戦中は姉と女学校の寮で暮らし
戦後 引揚げ 母親の出身地の長崎対馬に住んだ
そこでも 女学校の寮で暮らした
その後
父親が海苔の養殖で熊本の有明水産試験場に行くことになり
父親の身の回りの世話をするるために二十歳ごろ母はついて行ったという

教職についていた姉と母親は対馬に残り別れて暮らし
まったく見も知らずの熊本で戦後でよそ者扱いされ さみしい思いをしたという
2年後 父親の出身地の広島で皆で暮らし
母は野菜市場の事務職で働いた
その後 幼なじみの父と23歳で結婚し山口に嫁いだ

そんな話を 
母の身体をマッサージをする合間に聞いていた

家族揃って共に暮らす時間は少なかったことに気づく
真面目な母の性格を思う
家事や料理などしたことのない母は熊本で苦労したという
料理を作るのは元々嫌いだったのだともハッキリ言った
わたしは
戦中戦後の若い頃の苦労を偲びながら
母の思いをさっし やさしくなれるときがある
母の我慢強さ  ( 戦後を生き抜いた人は皆苦労人 )
その苦労を分かち合い ねぎらうことで
辛かった思い出も 新たな思いに変わる
それを乗り越えてきた母親をもっと讃えていこうとおもう

楽しくも思えるんではないだろうか?
幸せだったんだと思ってもらいたいと思う


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上記は 母が書いたもの

母は習字が好きで
あのぐち聞き地蔵のポスターを
早速 抜粋して書いていた
驚くほど 達筆で
おもしろくて・・・
15分で書き上げたと自慢げにいった!

やはり ぼけ封じ観音様の
御利益かと・・・
きっと 母は 神様に救われたんだと思う

 昨年 撮った写真の時よりも
母の顔や姿が やさしく かわいく 小さく見える

わたしは昨年末 夢の中で
祖父母 母の姉 母 わたし 長女とが出てきた
内容は覚えないけれども
四代揃って夢に出て
大好きな祖父母に会えて 
 夢から覚めても嬉しく思っていると

ハッとして
そばで寝ていた母の寝息を確かめた
母は生きていた
わたしは安堵した

祖父母が姿を見せてくれたことは
娘である母を
可愛い年取った我娘を見守っているのだろう
母が わたしを愛おしむように
親はいくつになっても子を思うのだ
あの世からでもそうなのだろう


母は物忘れはひどいけれど
ボケてはいない
問えば 思い出す

あの習字を見てもわかる

母の気持ちを大切にできるように
最期まで元気で過ごせますように
わたしも喜んで親孝行したい

神様に毎日 お祈りしています










平成30年 冬

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師走です
ブログの更新 11ヶ月ぶりです
私の主人が去年の9月に亡くなった時から
母は 月に一回は我が家に来てくれるようになった
夫を亡くした娘を憐れんでくれたのでしょうかね

それまでは 自分の家が一番いいと
遊びにも来なかった母でしたから
母の優しい思いが伝わりました

それまでは 実家へは 私が週 Ⅰ~2回
買物やマッサージをしに
通ってましたから 


悔やまれることは 
やはり 主人を一人おいて
親孝行と言っては家を空けてしまったこと
朝は6時~10時過ぎ 仕事してそのまま実家へ
往復2時間かけて 夕方6時前に帰宅
主人はいつも のんきにしていてくれたけれども・・・
いてくれて当たり前 安心して出かけさせてくれていた
いまだに信じられない 残念でならない

そんな気持ちを察してか・・
母が家に来てくれるようになって
私の沈みかける気持ちを支えてくれた
もちろん 子供達もさりげなく支えてくれた

我が家に来れば マッサージもしてあげられるし
買物に出掛けると冷蔵庫の中が
いつもより豊かになる

実家の弟夫婦も
多少でも息抜きができると言ってくれる
一石二鳥でいいのかもしれない 

前回のこのブログを見ると
俳句がたくさんのっている
でも 今は全く やってない
母の身体の状態は
母でしかわからない
母は急激に弱って
一人でいるのをいやがり困らせるようになった
今年の夏の暑さで
体調がかなり不安定となった
夕方になると
熱が出るといって
タクシーで病院にいき
点滴を打ってもらいに行くようになった
体温計で何度も計って上がるのを待って
いるような感じ
自分の気持ちを自分でコントロールするように
熱を上げているようで
やはり 日中 一人でいるのは
寂しく 辛い状態なのだろうと思えた

毎日のように夕方 タクシー頼んで
病院にいき 37度 熱が出てフラフラすると訴えて
医者も看護婦も慣れたように笑って扱われていた

弟嫁も妹も看護婦で 母のようすを把握して
行かなかくでも大丈夫というが
母は 死にそうなのに病院に行くわ~ね
この大変さがわからんのかと 訴える

死にそうなのにタクシー頼める?
まだまだボケているとはいえない

デイサービスに行くしかないねと弟の嫁さんと相談して
母を説得して週一回 やっと行くことになった
母は思いのほかデイサービスに馴染んでくれてよかった

その後 長年通った病院を 妹の勤める病院に代わることになり
妹もいるのでどんな状態か把握して薬も試して合わせてもらって
今は本当に安心できるようになった
身内に看護婦がいるというのは色々とメリットがある

母は ボケている様でボケていない
我が家に来たら
あちらこちらが きれいになってる
おおいに嬉しいけれど
黙ってはいない
また ほったらがして
キチンとかたずけて
むかしは 几帳面だったのにと叱る そして
ああ えらい くたびれたと 挙げ句の果てにいうのである
 
えらいならやらなければいい
やりたくないならやらないでいい
寝とけばいい いう具合

母曰く
性分だから 気になる という

確かに 私も若いときは几帳面だった

けれども 
五人の子供を育てる間に変わった
子育ての時って大変で
元気だけが取り柄の子供達
一人一人 目配り気配りして
五人が皆 調子がいいときなんてない
休んでる暇はない 
掃除も洗濯もやってもやっても追いつかない
しんどい時もやってきた

主人は仕事 出張も長い
転勤も単身赴任もあった
核家族で ほぼ手助けなしで
よくやってきたと思う
元気だけが取り柄の家族
兄弟で手伝ってくれた
なんとか 社会人になったけれど
毎日が あっという間
特に狭い官舎住い時に末の子が生まれた時
産後 休むこともなく
三食 食べさせて 学校行かせて
風呂入れて寝させて
また 朝が来て

そんなこと言い立てたら
母は あまり言わなくなった

母は デイサービスに週四日行くことになり
張りきって行ったが 四日目に腰が痛くなり通えなくなった
ベットから起き上がるのに5分かかるという
母のようすを見ながら
日中一人でいるのは気になり
老い先短いかもしれない母を思うと
私は仕事場に休みをもらって
我が家に連れてきた
我が家に二週間いたが 良くなったかと思うと
また 痛んだりと くりかえしたが
嫁さんや妹と連絡取り合って相談して
薬を送ってもらったりして
ようやく 家に帰って行った

介護の初期研修というのがあって参加した
今からどうなるかわからないし
聞いておけば役に立つかと思ったのだ

思いのほか おもしろくこれから母に
役に立ちそうなので本当に良かった

そして 鬼嫁がいい!といわれた

なるほどね 母が元気に自分のことをやろうとする気持ち
ある意味 
嫁さんに支えられていたことにきずいた
さすが 看護婦 という感じだ

でもね 仲の良い親嫁になりたかろうに
それがこの世で出会って 課せられたものだろうにとも思う私

母を送りとどけてから
『あとはよろしくお願いします』と ライン送ると
『自分のことは自分でするのでありがたいです』
『優しくはできませんが 見守ります』と 返ってきた

今のところ それでいいのだろう
母もわかっていてのこと

私も 娘とはいえ 優しくはしていない
自分のことは自分でしてもらう 

でも 常々 何をしたら喜ぶかな と考えている

母がとても喜んだことは
風呂を抜かずにおいて
朝 残り湯を沸かして
風呂中でタオルで体中を 擦ってもいいよ
あとは掃除するから 遠慮しなくていいからね
ゆっくりと入ったらと・・
 思い存分 垢が浮いていた
二人でわらいころげた

いつも母が風呂にはいると
入ったら直ぐに出て 身体を洗いながし 直ぐに出ようとする
そして 髪の毛が浮いてないかさがす
気兼ねしているんだと思ったので
思いついての朝湯だった

一つでもよろこんでくれたことができて
よかった
いつまでも元気に長生きしてほしい
そのためのお手伝いならいくらでもしたい





85歳になった母


母は 元旦生まれ

今年 85歳になりました


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今年はとても寒いのに 体調も悪くなく風邪も引いていない

毎冬 どこか具合が悪く心配しているのだけれど

耳が少し遠くなって 小さく丸くなって かわいらしくなった

足腰弱って 物忘れが ひどくなったと

老いを感じながら 自分のことは自分でやり

日常を俳句で詠んで 日記に書いて振り返っているようす・・・

弟夫婦がいるお陰で母も生き生きとした感性が保たれているのだ



私は帰る前 必ずマッサージを1時間してあげる

母も気持ちが善いといってくれるので嬉しい

リラックスして話がはずむ

でも 最近 昔話をしなくなったように思う・・・・

私の知らない母の育ちや環境 戦後の苦労話を聞いて

母の思いや求めるものを少しでも叶えてあげたいと思う

しかし 時として 遠慮する

心配しないでいいというのに・・・

老いては子に従えって・・・本当に優しいというか・・・

ややこしく感じるのだけれど

相手を思いやる心・・・忘れかけている自分を思う

得ばかり思う自分に気づかされる

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母の誕生日は元旦だから 正月祝いと兼られてしまう

だからと 今日は食事に誘った


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よほど お腹が空いていたのだろう

いつもになく ハイペースで食べはじめ驚いた

ほぼ完食 まだまだ元気だね・・(笑)

私がご馳走したいのに 母は 代金を支払ってくれた

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帰るとき 寒いのにそとへ出て見送ってくれます

無事に帰りますようにと また 来てねと祈ってくれてるのです

ありがとう! 元気でいてね!

一回一回が一期一会 しみじみと思えます

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